あなたには息をする覚悟がありますか
あんまり、クサいことを場を考えずに垂れ流すと、あんまりにもクサいので、ここに綴ります。
しかし、野暮ったくしたくないので、抽象的なことをずらずらと書いていきます。
ピノキオピーの「ノンブレス・オブリージュ」を森山至貴さんに編曲していただいた、Nova Animaの「ノンブレス・オブリージュ」のMVが公開されました。
ただのいち団員、いち歌い手、いちその場にいた人、ですが、観測者ヅラするにはちょっとばかし、体験型芸術すぎる体験をしたと思います。
曲についてみんなと深掘りして話し合う時間は特にありませんでした。
合唱では珍しい話ではありません。
原曲があろうとなかろうと、楽譜には、音だけではなくたくさんの意図、(編曲者の)解釈のヒントが著されています。
フランス語のノブレスオブリージュ(noblesse oblige)をもじったこの楽曲ですが、ノンブレス・オブリージュ、と聞くと、「息を止める」ことを「強制する」なんだな〜と思いますよね。
ノブレスオブリージュの方は、そのまんま「高貴」を「強制する」ではないので、この「・」のあたりに何かひとつ解釈を加えないと繋がらないな、というか、そもそもそのまんまの訳ではないよな、というのはなんとなく共感していただける方もいらっしゃるかと思います。
この曲自体、某高音テスト楽曲よろしく、「息が保つもんならやってみろ」的な、VOCALOIDの逆襲的な、しばしば起こるボカロ歌ってみたへの挑戦状に挑戦する的なムーヴメントで流行したかと思います。(あまり近年の動きに敏感でないのでよくわかっていません。)
ほとんどの人が、歌っていて「歌詞は目から入って口から出るだけで脳は一切通りません」なんてことはないと思いますので、この曲の歌詞の意味とかは考えずに歌っても、(おおげさに言えば)「たった今息が詰まっているしこんなに苦しいなら殺してくれ!」みたいになるその瞬間、楽曲とリンクして気持ちいいだろうな、と思います。
ところで、別に大仰な話ではありませんが、私は、「息していたい」「死にたくない」と人間誰しも思っているだろう、とは思いません。
と、言っても、毎日毎秒毎瞬間「死にたい!」とエネルギーを使ってまで外に発信したいとかは思わないことと思います。
息を吸って、「死にたい!」と言ってみてください。非常に面倒くさい。これをずっとできる人はすごい。
話が逸れました。
この曲の歌詞のここがこうだ、とか解釈を逐一並べるのは野暮なので致しませんし、我々は「ボカロのように澱みない発声でとにかく息は(便宜上)吸うな(ということにする)」と指示されていたので、単語一つ一つや情景に合わせた感情的な表現はしていなかったわけですが、単なるあいうえおの羅列で済ませられないのが人間という脳みそを介してしまったサガでした。
「息を止める」と息を吐きながら歌って、最後には「呼吸する」のですが、「たった今息が詰まっているしこんなに苦しいなら殺してくれ!」という気持ちが自然発生しました。
でも息しているんだよなあ。
生きたい生きたい生きたいと歌っている気持ちよりは、死にたい死にたい死にたいと歌っている気持ちの方が近い。
他者を傷つけながら呼吸するんだね、と嗤いながら、死にたいと叫んでいるとしたら、なんという自己矛盾が渦巻いているんだろう、と、混乱したものです。
でも生きてるんだね。
とてつもなくエネルギッシュに。
呼吸するんだね。
そっかあ、と思いました。
でも生きるしかないのです。
本当に息を止めることを選ぶのであれば、それは大変楽でしょうが、傷つけ傷つきながら呼吸することから逃げることはこれらから遠ざかることだぞ、と言われているような気持ちになりました。
「こんなに苦しいなら殺してくれ!」
と、思いながら、息をすることは、とてつもなく気持ちが良かった。
おそらく、ざらざらぼこぼこした表面をならしてみると、生きていたいんだろう、と自覚しました。
おそらく、みんな生きていたいんだろう、と。
どちらかと言うと、ノンブレス・オブリージュ、というより、ブレス・オブリージュを感じてしまうのですが、それではあまりにも嫌味ったらしすぎますね。
否、自分で気づかせてくるあたり、反対にもっと嫌味ったらしいのかもしれませんが。
カンニングブレスでシステマティックに、また出音だけはブレス音が聞こえないようにシームレスに入れ替われば、この曲は見た目だけには息をしていない人ができあがるでしょう。
しかし私たちはどうして、カンニングブレスはなんだかあまりしたくなかったのでしょう。(もちろんしています。)
私は歌いたかったです。
苦しくなりたかった。
その方が何かわかる気がした。
ちゃんとブレスをとるようになっても忘れませんでした。
たぶん、一人で重ねて録って切り貼りして、とやるであろう歌ってみたよりは、なんだか色々な人の意地や、その向こうにある無意識/意識的な思惑を感じられるような気がします。
結論としては、みんなで歌ったらやっぱり新しい世界がちらりと見えた気がする、ということです。
たぶん、割と、みんな、自分が思っているより、辛くても息していたいんだな、と思います。
わかって良かったな、と思いました。