普段電車に乗らないもので。
海はあちら側かな、と、日除けに遮られた窓の向こうを見る。思わず目を細めるけれど、見えるものが増えることはない。
日除けの縦縞模様と、織物の横縞模様が、くっきりと見える。それはすなわち、景色を見ることは難しいと悟らせる物々だ。
諦めて、手元に目線をやる。
両隣に座った高校生。左側の子が、首に何かを塗っている。右側の子も、同じようにしている。
ムヒ? ……違う、シーブリーズだ。
男子高校生のにおい。
そうだ、なぜ大人はシーブリーズを塗らないのだろう。なぜ男子高校生にもできる汗対策をできないのだろう。
化粧も適当な自分が恥ずかしくなる。
30分もしたら、男子高校背に挟まれたそわそわなんて気にならなくなる。
電車に毎日乗る人はすごい。
肘がぶつかるほど近くに他人を感じると、自ずと考えてしまう。この人はどんな人なんだろう。何をしているんだろう。どこへ向かうんだろう。何を考えているんだろう。
そんな感嘆も、1週間ぶり、何百回目だ、というほど繰り返してきた。
声の大きな人
小児外来の少女
女の子はお母さんの肩に頭を預けていました。夕方にはべたついて鬱陶しい髪が、二人の首元で一緒になって、見ている私までじめじめとしたような気持ちになり、それと同時に、暑苦しくても人とくっついていたいよね、と、不思議な共感を生んだのでした。
身長と体重だけ測りますね。一人で診察室に飛び込んで行った女の子は、寝ていると思っていたのに、かえるのように元気良く足を運んでいました。戻ってきた女の子の表情は、思っていたよりもずっと楽しげで、メロウな平日の夕方の雰囲気とは違っていました。
帰る頃には、背中に感じていた分厚い雲にはとうとう追いつかれ、オレンジの夕陽を浴びることもなく、寂しいような、清々しいような、そんな道のりになりました。近くのコンビニで買ったアイスは、空気の湿気にすぐに溶け込んでしまいそうで、学生みたいに、自転車に寄りかかって、すぐに食べてしまいました。
あの女の子が、大きな病院に通うような事情を持っていたとしても、あのくらいの年頃の女の子には、これと同じことなのかもしれないと思いました。毎日、何もかも、どことなく楽しくて嫌いじゃない。大人になってみたら、大好きだったと言える。また戻れるのならば、心から楽しめる。
雲の隙間から、熱い日差しがほんの少しだけ覗いていました。私はそれから逃げるように家路を急ぎましたが、きっとあの女の子は、まだおうちには帰っていないでしょう。お母さんと一緒に、美味しいものを食べるのでしょう。
そんな「ちょっとずつ」がたくさんある毎日が、まだもうちょっとある彼女に、羨ましいような、懐かしいような思いを馳せました。